「病気を知ってくれるだけでいい」。難病「魚鱗癬」患者の会は我が子の苦しみと向き合った母と家族の愛情から誕生した
難病を持つ我が子を愛する苦悩と歓び(11)
◆希少疾患の子を抱え日々の暮らしを営む困難
北九州市(きたきゅうしゅうし)在住の梅本千鶴(うめもとちづる)さんが、「魚鱗癬(ぎょりんせん)」の子・遼(りょう)さんを出産したのは1995年。その育児を通じ、同じ病気や症状、障害を持つ患者や家族が互いに支え合う場が必要と思い、主治医の後押しもあって、3年後に患者会の設立に踏み切りました。
よく「患者会って何をするところ?」「病気が治るわけではないし」という否定的な声もありますが、患者や家族は医療を受けるにしても、疾患を抱えながら日々の暮らしを営むにしても、正確な情報の不足からさまざまな不都合が生じ、悩みのタネはつきません。特に治療法が確立しておらず、数十万人に1人という頻度の希少疾患(きしょうしっかん)においては、その不都合は多岐にわたります。
千鶴さん自身、次のような体験をしました。
皮膚がウロコのように硬くなりボロボロと剥がれ落ち、体温調節がうまくいかない、また、皮膚からの感染症で重体になり、いつ死ぬかわからない我が子の病気はいったい何なのか? 主治医さえ病名がわからない。
今のようなインターネット情報は皆無に等しい時代でした。乏しい情報をたどって、道中何が起こるかわからないリスクを背負って、主治医同道で東京の大学病院へ行き、やっと「魚鱗癬」という病気の診断が下されたのは、出産から4か月後のことでした。
病気の診断がつき、症状を抑える対症療法は受けることができるようになっても、日々生活を送る上で、悩みは次から次と発生してきました。
オムツを替えるとき、用心しないと皮がズルっと剥(む)けてしまいます。それくらい皮膚が弱く、服を着ていても抵抗をかけることは避けなければなりません。
「だからこの子は乳児期の1歳半まで、わたしを含め、誰からも抱っこされたことはないのです」(千鶴さん)
包帯でグルグル巻きの遼さんを、ベビーカーに乗せて買い物に行くと、ジロジロと好奇の目が集まり、「かわいそうに、全身をやけどさせちゃって……」といった声も聞こえてきました。
魚鱗癬は乳児期に死亡する確率が低くはありません。なんとかその時期を乗り切って幼児期に入っても困難は続きます。
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KEYWORDS:
【魚鱗癬についての患者・家族会】
魚鱗癬の会 ひまわり
『産まれてすぐピエロと呼ばれた息子』
ピエロの母
本書で届けるのは「道化師様魚鱗癬(どうけしようぎょりんせん)」という、
50~100万人に1人の難病に立ち向かう、
親と子のありえないような本当の話です。
「少しでも多くの方に、この難病を知っていただきたい」
このような気持ちから母親は、
息子の陽(よう)君が生後6カ月の頃から慣れないブログを始め、
彼が2歳になった今、ブログの内容を一冊にまとめました。
陽君を実際に担当した主治医の証言や、
皮膚科の専門医による「魚鱗癬」についての解説も収録されています。
また出版にあたって、推薦文を乙武洋匡氏など、
障害を持つ方の著名人に執筆してもらいました。
障害の子供を持つ多くのご両親を励ます愛情の詰まった1冊です。
涙を誘う文体が感動を誘います。
ぜひ読んでください。